早稲田大学整数論研究集会ならびにセミナーの由来について
早稲田大学理工学術院教授 足立恒雄
毎週金曜日に開かれる整数論セミナーと毎年3月に催される整数論研究集会は段々盛んになって,現在では早稲田大学は日本における整数論研究のメッカの一つとして定着してきているように思います. 私学でこうした研究が10年以上にわたって継続発展してきたことは大変なことです. これらは主催なさっている小松啓一教授と橋本喜一朗教授のご苦労とそれを補佐し, ノウハウを受け継いできた (過去・現在の) 助教・助手・院生のみなさんの熱意溢れる貢献の賜物であると高く評価し, 創設に携わった者として深く感謝する次第です. 私も定年が近いですし,ホームページが立ち上がったのを機会に,この研究集会とセミナーの来歴を記しておくのは意味のあることだと思い,一筆したためさせていただくことにしました.
早稲田大学理工学総合研究センター (略称:理工総研,現在は理工学研究所と改称され,早稲田大学理工学術院総合研究所の中の研究所として位置づけられている) の招聘研究として「数理科学研究」が選ばれたのは 1993 年度のことでした. これは喜久井町にあった理工学研究所 (略称:理工研) を西早稲田キャンパスに移転するにあたって理工総研と改称し,同時に大きく改組したのに伴い,必ずしも企業等と共同研究したり,寄付を仰いだりすることがあまり見込めない基礎研究も支援すべきだという考え方から数学も奨励の対象になったのでした. このときには,当時理工総研の幹事をなさっていた機械工学科の大田英輔教授 (現名誉教授) が,数学に対してとても理解があり,数理科学研究採択のためにお骨折りいただいたということを感謝の念とともに記しておきます.
この招聘研究は 3 年間の期限付きでした. 55 号館 S 棟の 5 階でしたかの一室を利用できることになり,報告集出版費用などの補助が得られました. 条件としては,将来数学の研究所を立ち上げるというのが口約束的にさせられただけで,ほぼ無条件でした. この部屋がセミナー等に使用できるように,数学科の費用 (隠し財産?) を使って白板や数十脚のりっぱな椅子を購入し,毎週整数論のセミナーを開くことになりました. これが現在も金曜日に開催されている整数論セミナーの始まりです. 最初は代数幾何のグループも使っていましたが,かれらのセミナーは割合早期に 51 号館のセミナー室に移りました.
翌年 (1994年) の 3 月 14 日から 17 日まで第 1 回の整数論研究集会 (代表:橋本喜一朗教授+足立恒雄) が開かれましたが,その他にも「射影多様体の幾何」(代表:楫助教授 (当時)) と「非線形可積分系の数理」(代表:上野喜三雄教授) の二つの研究集会が開かれ,いずれも報告集を出しています. それ以後,整数論は毎年 3 月に研究集会が開かれて現在に至っています. また他分野の研究集会も何度か開かれました.
招聘研究は 3 年後に,奨励研究という名称で継続しましたが,合計 6 年で理工総研の支援による研究は終了しました. その後,早稲田大学でプロジェクト研究機構が発足し,その中の一つの研究所として数学応用数学研究所が立ち上がりました. その経費は数学系教員の個人研究費等で賄われており,最初の予定とは大分異なっておりますが,一応は研究所の形態を取っていまして,「約束は果たした」格好にはなっております. 最初は私が所長を務めましたが,現在は柴田良弘教授が所長に就任されており,さらなる発展に尽力されております. ある程度の規模の研究所となれば,研究員を置くことも出来るので,助手・助教の人たちの研究継続の場として役立つようになることが期待できます. そのためにはたとえば GCOE に採択されるなどのきっかけが必要と考えられますので,数学応用数学研究所主催の講演会を開くなどして採択に向けての素地作りが続けられております. その事業の一環として 3 月に開かれる整数論研究集会も数学応数研究所の後援を受けております.
私自身のことに触れておきます. 私は役職に付いたり,関心が数学思想史に移ったりしたこともあって,整数論のセミナーには出席しなくなりましたが,数学史の方では 1996 年 3 月に「リーマン研究集会」を開き,その報告集を発展させて,『リーマン論文集』(2004年:朝倉書店) が刊行されました. 最近は,ニュートン研究集会を小規模ながらもすでに 3 回開催しております. これには橋本喜一朗さんや中村哲男さんの受けていらっしゃる科研費から補助をいただきましたが,考えてみれば, 数学応用数学研究所の主催,あるいは後援という形式を取れば,研究所活動の一環とみなせて良かったのに,と反省しております. 次回からはそのようにしようと思います. 『ニュートン著作集』(全 3 巻) は来年あたりには第 1 巻が出版できるように,研究会を開いたりして翻訳者をせっついているところです.
話はずれるのですが,微分の定義一つをとってもニュートンの考えていることを忠実に理解するのは至難の業です. 同じ「数学」と言っても形の上で似ているだけで,その意味する実態は 18 世紀と現代とではまったく異なるのは不思議な程ですから,ニュートンを研究するのは大変難儀ではありますが,意義のあることです.
最後に題字のことです. 早稲田が生んだ大歌人であり,偉大な書家である会津八一と清朝の書家趙之謙から集字して,結果としては,当然のことながら品性下劣な方にデフォルメしたものです. とても人前に出すようなレベルではありませんが,持前の図々しさと,恥をかくのが上達の秘訣という手前勝手な教育論を盾にして書かせていただきました. 私が熱心に書をやっていることを知って,その気持ちを慮り,題字を依頼してくださった助教の陸名雄一さんと岡野恵司さんの両名に感謝いたします.
2009 年 2 月 26 日記